麒麟を中心にワラキチも含めて考察してみた
私はお笑いコンビ「麒麟」が好きです。
若い
私がお笑いに目覚めたキッカケ、もっと大袈裟にいうとそこからサブカルチャー的な世界へと目覚めたキッカケだと思っています。
今でも好きだけどモーレツに大好きだった期間があって、ノートには自分のためだけにトークを書き起こして出演したテレビ番組のレポートを書いていました。
正直今はそこまでの熱はなく、テレビをつけて出ていたら見る、くらいのスタンスになっています。
しかし単独ライブのDVDや出演番組を録画したDVD、雑誌の切り抜きなんかは未だに残っていて、何よりも頭に曖昧ながらも大量のエピソードや思い出がストックされているのです。
麒麟のファンになった。
私の人生のターニングポイントといっても過言ではありません!そこで急ですが、彼らの活動を私がのめり込んでいた時期の思い出と共に振り返ろうと思いたちました。
なるべく誤りがないように心がけますが、かなり正確さに欠ける部分も多々あるので大目に見ていただきたいです。
では早速振り返っていこう!
2005年(麒麟:25歳・結成6年目)
2004年はアンタッチャブルが優勝。南海キャンディーズ、タカアンドトシが初めて決勝に進出しブレイクする大きなキッカケになった大会でもあります。そして敗者復活で麒麟が勝ち上がり、最終決勝に残ったのもこの年が初めて。
田村さんの「頑張れおれたち!」っていうセリフがピックアップされがちな2004年。
お笑いのネタをちゃんと見たのもこれが初めてだったし、そもそも何かを好きになるのもこの時が初めてでした。
その後、再び知人が2001年〜2003年のM-1DVDを一気に渡してくれたのですが、やっぱり2003年を中心に千鳥のド下ネタ・笑い飯の伝説のネタ「奈良県立歴史民俗博物館」・フットボールアワーの結婚記者会見・2丁拳銃のピクルス抜いてください等、今でもネタがスラスラ出てくる程、暗記する勢いで見まくっていました。
次に麒麟をテレビで見たのは
上方漫才大賞の新人賞の受賞
そしてTOP3組で「さんまのまんま」に出演
といった認識。
この機会に、と正確な受賞・出演年を調べたところ
さんまのまんまに関しては様々な方がブログに感想を書いてらっしゃってて、その日付からなんとなくこの頃に関西で放送していて、のちに時期の遅れはあるものの各地で放送された模様。
ちなみにさんまのまんまでは田村さんの貧乏エピソード披露、さんまさんのこの6人で1番モテる(甘いマスク)なのはノブさんという推測も。
今もどうかは分かりませんが、さんまのまんまの部屋にはこの3組がサインした真四角のサイコロというか椅子クッションが置かれていて、番組でたまにそれが見切れていていました。嬉しかったなあ。
さて新人賞の話に戻りますが、笑い飯、千鳥の受賞歴はどうなんだとこれまた調べたところ
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千鳥
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2003
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新人賞
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2005
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新人賞
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2010
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奨励賞
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2011
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奨励賞
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2013
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大賞
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2014
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大賞
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笑い飯・千鳥、恐るべし。
奨励賞を青、大賞を赤と勝手に分けたのですが2組とも続いて受賞してるのが凄い。
そして年末のM-1グランプリ2005では
という結果。
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やはりM-1が見れない地域の私は何故かネットニュースは見ずに、毎年翌朝の新聞の小ちゃな芸能欄で誰が優勝したかを知り、そして大抵落ち込んでいました。
確か1回戦は野球ネタ、最終決勝では新人賞でもやっていたファッションショーネタだった気がする…。このファッションショーネタが新人賞の時とは違うアレンジになっていました。私は新人賞の時に披露したほうが好きでした!
2006年(麒麟:27歳・結成7年目)
ここで謎のCDデビュー。
TKプロジェクト ガチコラとは、2006年に吉本興業と小室哲哉が行ったお笑い芸人の楽曲制作プロジェクト。芸人達が「着ボイス」、「着ネタ」を撮ると言われスタジオに呼び出されると、そこで待っていた小室哲哉。小室が作曲、芸人が作詞するという企画。*3
曲名からして毛色が違う笑い飯は、以前NHKでスペイン語講座の番組に出演していたため、サビはスペイン語とともに講師である大岩先生の名前を歌っていたのです。「♪2本撮り〜〜お疲れ〜〜エスパニョ〜〜ル!」というサビと曲終わりの台詞がスペイン語だったことを覚えています。
申し訳ないことに千鳥はどんな歌詞だったかあまり覚えていません(ごめん)。ただなんかラップ調だった気がする。
麒麟は曲名を見てもわかる通り貧乏ネタを全面に出した歌詞で、出だしも「米!噛め!」というシャウト。割りかし爽やかなメロディーとふざけすぎていない歌詞でした。
ちなみに同アニメのオープニングは次長課長が担当。「JK」名義で「晴れる道〜宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!〜」という曲。
この頃unoは芸人をたくさんCMに起用していてweb上で西と東に分かれイメチェンした芸人のうち投票数1位の人がCMに出れる、というシステムだったはず。ということで田村さんバージョンもweb上では公開されていたと思う。画像も検索すれば出てきました。
川島さんのお顔がタイプな私としてはこの頃の川島さんはとってもかっこいい。今画像を見返してもかっこいい。当然若いし、なんかみずみずしい。よく分からない表現になってしまいました。
これよりもかっこいい具合がいっぱいあるのでこの川島さんは少々不本意。
ガチコラといいunoといい投票数1位で大きい仕事を掴んでることから若い子からの人気がとてもあったんだなと思うし、キャーキャー言われていたんでしょう。だってかっこいいんだもの。(3回目)
その証拠にDVDでみましたが2004年に若手恒例のコンサート的なイベントで日曜日よりの使者を熱唱し、女の子から黄色い声援をうけてるのを拝見しました。
【笑い飯】
- 2010年春、大阪に家を残したまま東京に進出する。所属も大阪吉本のままで東京吉本へ移籍はしていない。
【千鳥】
- 上京しているが、2人揃って家族を大阪に残し、単身赴任で生活している。
- 『ピカルの定理』のレギュラーになってからもしばらく大阪に在住していたが、大阪に出る時とは逆に、相方のノブより遅れて上京。
- 2012年8月現在、妻と子供を大阪に残し、大阪に出てきた時とは逆に大悟より先に東京都での生活を始めている。それを『ぐるぐるナインティナイン』で知った相方の大悟に「まだ早すぎだわー」とツッコまれた
ご家族は大阪にいたり、所属は大阪のままだったたり、なにより現在関西在住の私としては未だに笑い飯や千鳥を関西ローカルの番組で見れるのはとても嬉しい。
以前、「祇園笑者」という番組で月亭八光さんと田村さんが出演されていて、その時のトークに爆笑したのですが。
「ワラキチ」というユニットを組んで劇場のTOPを3組ではり、賞レースでも互いに競り合った彼らは東京に出た後も席の取り合いという、まさにライバルで戦友といった3組。
こういうの、大好きです。
そんな3組はやはり年末は2006年M-1グランプリで争いあいます。
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千鳥はこの年決勝にいくことはできませんでした。笑い飯も珍しく4位。うがいのネタだったと思う。「うがい、うがらい、しがらい」の。
麒麟が一体どこでブレイクしたかと言われればやっぱりこの「すべらない話」じゃないかなあと私は思います。
またbase卒業後は「横丁へよ〜こちょ!」のレギュラー。これは個人的に大好きな番組でしたし、番組終了後も継続番組にも続投でレギュラー出演されてました。あとお笑いポポロで麒麟が特集された際のレポート記事も未だに覚えていて、田村さんが壁にぶつかる練習をしてたというものでした。タイミングが難しいんですって。
他にも「いいとも」出演が相次ぎ「メントレG」の楽屋訪問のコーナーで度々登場。このメントレGにはこの後もしばらくお世話にります。国分さんに関してはのちにレギュラー番組も一緒になったりするのですが、この時そんなことになるとは思ってもいませんでした。
さらに2006年明け早々に関西ローカルの単発ですが冠番組「麒麟の地獄温泉〜ケータイクエスト〜」が放送されていて、これは偶然(!)見ること出来たので覚えているのですが、雪山に裸の麒麟という映像が脳裏に残ってます(笑)
といった具合に2006年はCMもCDも冠企画に全国ネットとかなり濃い1年でブレイクしそうな予感を漂わせて終了。というかこうまとめるとブレイクしかけてますね。
話が途中逸れたりもしましたが、2005年、2006年の2年間をまとめただけでもこれだけの量 (笑)。
そして怒涛の2007年を迎えるのです。THE・芸能人といった波から世間的ブームの波まで押し寄せてきます。どっちとも対応できないくらいのビッグウェーブ!(笑)
2006年以降も必ず書くとは断言しかねますが、もし書いたらもっと長くなる気しかしない(笑)
【余談】
確か前身番組「グーグーモンキーズ」のそのどちらかで、南海キャンディーズの山里さんが遅刻かとばしたかで麒麟(というか川島さん)にこっぴどく怒られていた写真がアップされていました。しかもその時飲んでいた?千鳥の大悟さんにも行きたくない的な愚痴を暴露されてしまって八方塞がりだったなあと、物凄い記憶があやふやなエピソードがあります。公式HPも無いので確かめようがないのですが…。
そのラジオ番組ではソラシド本坊さんへ川島さんが送った手紙で涙する本坊さんと田村さん、という美談があったのも載せておきます(笑)
園笑者」2012年1月20日放送